地球人。魯山人。 -「生きる」という芸術のために-

「喜左衛門井戸」という国宝の茶碗がある。いわゆる高麗井戸茶碗のひとつで、元はといえば朝鮮で飯碗として使用されていたと伝わる種類のものである。私もそのうつしを所有しているが、大ぶりで高台に特徴があるものの、素朴な碗である。
 この飯碗が国宝になるためにはいくつかの過程を経なければならなかった。簡略にいえば、茶人に発見され、「茶の湯」に使用されなければ、おそらくどこかでもくずと消えていたに違いのである。とはいっても、茶の湯という儀式に芸術的意味を感じない者にとっては、「飯」が「茶」に変わっただけである。英語にすれば、rice bowl とtea cup、生活用具に変わりはない。今でこそ「デザイン」という美学的領域が成立しているが、その遙か前から、この碗は西洋の「芸術作品」以上に珍重されてきたのである。
 そうであれば、国宝という最高の評価を得ているこの一個の碗の芸術的価値はどこに存在するのであろう。実はそんな疑問の中にこそ、日本独特の芸術に対する感覚と北大路魯山人という存在の意味が見えてくるのである。  北大路魯山人の生涯についてフロイト的とも言える検証を行った白崎秀雄もその作品の中でこう語っている。

「そもそも北大路魯山人とは一体何者なのか、と思われる読者も少なくないであろう。
その疑問に対する答を考えてみると、私はたちまち困惑せざるをえない。彼はしかじかの人物なりと、簡潔に要約して表現することが到底できそうにないからである。」
 幾多の人がその存在自体を否定しようとして、仕切れず、かえって、その魅力におぼれてしまう。そしてまた、芸術家として評価しようとすればするほどそのような境界線を引くことすら、拒否してしまう、不思議な存在。その人物についての感覚が、どこか私たちの美学的記憶を刺激するが故に、魯山人という謎は、日本美術が、今、そのアイデンティティすら曖昧模糊とし、目的意識すら萎えようとする時代に、その解釈を迫って、ますます重く私たちにのしかかってくる。

 魯山人のことを語る前に、少し西洋の芸術観に話を転じてみたいと思う。なぜなら、魯山人世代の芸術家たちが良いにつけ、悪いにつけ、直面してきたのは自国の伝統とともに、明治時代以後日本を席巻して行った西洋近代芸術だからである。魯山人のことを語る場合、常に提出される疑問、「魯山人を芸術家と呼べるのだろうか?」という問題も、明治時代以後の日本における、伝統と西洋的美学の間で引き裂かれた芸術状況の難しさゆえのものだと思うのである。

 中世までの芸術史を見る場合、匿名性の職人的な技巧がその大半を占めることは日本でもキリスト教化以後の西洋社会でも同じである。キリスト教以後と限定するのは、それ以前、つまり、ギリシャ=ローマ時代にはすでに異なった芸術観が確立していたからである。
 ウンベルト・エーコの世界的ベストセラー「薔薇の名前」は中世の修道院でギリシャ時代の古文書が発見される物語だが、職人芸から芸術へと進化するのに不可欠だった「哲学」の再発見の物語である。
表現というものは一貫した宇宙観や考察の上に成立しなければならない。つまり、神の創造の世界と「哲学」という語に表現される人間の解釈の間に芸術は存在する。そう理解した人たちによって、ルネッサンス以降、職人artisanから芸術家artisteへの変化の道は作られていく。
 そして、飯椀と茶碗の間を隔てるものこそ、その哲学への意識なのである。むろん、茶の湯が前提とする「禅」の教義に沿えば食事をすることも、茶を飲むことも、同じような修行の一部である。しかし、「茶」は一休宗純、村田珠光、武野紹鴎そして千利休という系譜によって、禅を背景にした明確な哲学的視点を与えられ、以来、日本的美学の要となったのである。

 魯山人も「茶の湯」についてこう語っている。
「人生になくてかなわぬ美的趣味のもっとも高き、あるいはその諸般に渉りたるをもとむるとすれば、それらを一堂に教育指導してくれる学校は一体どこにある。独り、この「茶道」校があるのみではなかろうか。」(北大路魯山人「魂を刳る美」)
 思えば、「茶の湯」芸術の成立過程は西洋ルネッサンスとほとんど期を一にしていることはとても興味深いのだが、彼我のもっとも大きな違いは、ルネッサンス以後、職人が芸術的自覚を果たし、個人の行為の中で哲学を形に変える芸術家的自我を完成させていく西洋に対し、日本では、利休や織部、遠州のようにその哲学を職人たちに伝えるプロデューサー的なあり方を示したことだと思う。それは、おそらく、プラトンのイデア論やアリストテレスの詩学を前提とする者と、禅や仏教的アニミズムをそれとする者の差異というほかはないのだろう。
つまり、神々が創造したものに物理な肉体を与えることを目的とするのではなく、特に茶の湯にみられるように、作品はかたちのないものを知覚するための、もしくはその世界に到達するためのアイコンであるという見方の違いである。彼らにとって、芸術の価値は目に見えないところにある。
 岡倉天心は「茶の本」の中で「way」という観念的な言葉を象徴的に使っているが、まさに、茶の湯が表す日本的芸術のあり方は、思考や感覚の中で「道」を示すこと、なのである。
私たち日本人にとっては「心あっての形である」(魯山人)のだ。

 このような視点に立てば、北大路魯山人は不思議な存在ではない。むしろ、室町同朋衆から安土桃山にいたる日本的な芸術の系譜に直接つながる伝統的な芸術家像の体現者である。
 古典を人一倍重要視する姿勢にも、自らの根拠を明らかにしようとする意図がくみ取れる。しかし、魯山人をして、それだけでは割り切れない存在としているのは、彼の中に強烈に息づく近代的自我ではないだろうか。
「宋窯を見せ、古瀬戸を見せれば、職人は直ぐにそれの外形をこそ真似はするが、その内容に大事な精神を欠くというのが避けがたい状態であった。自分はここに他人のあつらえた生地には非常な不満足を生じ、自ら土を採って作るのでない限り、到底自分の意に満たないという結論に達した。」(「魯山人陶説」)
「また一つの事実として、みずから全部を作らなくば自作品と言えぬ。」(同)
 と、魯山人は語っているが、これらの言葉は、ある意味で、自ら利休や織部、遠州の道を捨て、より光悦、乾山に近く、さらに近代主義的芸術家像に迫ろうとする意思の表れではないだろうか。
その背景には、魯山人が篆刻や書に秀でた技術と才能を当初から持っていたこともあるだろうし、おそらく明治以降の近代文明社会という時代が大きく作用したに違いない。時代は声高な主張をする芸術家に求めていた。そして、それに呼応するかのような自我を魯山人は持っていた。
 それ故、魯山人という芸術家像のもう一つの側面を形作るのはその批評である、と私は思うのである。なぜなら、多くの場合辛辣なその文章や言動は独特な論理性を有しているからである。
「芸術は計画とか作為を持たないもの、刻々に生まれ出てくるものである。言葉を換えて言うなら、当意即妙の連続である。」(「魂を刳る美」)

 このような指摘にはどのような論理の展開も可能であるし、意識という点にまで踏み込んで芸術の謎を明らかにしようとする科学的姿勢は彼の近代性をよく表していると思う。しかし、その直後にこんな言葉を続けるところが、彼についての解釈を複雑にすると同時に、人々に愛される理由の一つを醸し出すのである。

「浮気はその日の出来心、というのがある。芸術もいわばその日の出来心である。」(同)
 この、自己の論理に溺れてしまうのではなく、常に対話する相手との接点を持とうとする態度こそが、枝葉末節な芸術論を飛び越えて、存在として彼を巨大なものとするのである。
 そして、古代や近代、職人と芸術家、理性と感情、論理と非合理、傲慢さと優しさ、様々なものが、その極点において混在する一つの人格において、そのすべてを包含するキーワードとメディアを発見することはとても重要なことだったに違いない。そして、彼は紆余曲折を経て、その二つともを手にするのである。
「美を探求する、美を愛する、美を身につける、美と接吻を続けるのでなければ、美術家としての生命はないと私は思っております。ここにおいて熱烈なる愛情のみがものを言います。」(同)

 こちらがてらうほど率直な「美」と「愛」への追求。しかしそれは、あまりにも複雑多岐なものの混在、そしてそれをすべて吸収してしまうほどの感性、その中で進むべき方向と自らの意志を見失うまいと必死でもがく芸術家の決意に他ならない。
「純真の力というものの前には、対抗する何者もないことをおもい起すべきである。」(同)
そうして、すべてのものは「生きる」という行為そのものに集約されるのである。そこに、「料理」がある。ここで、利休たちが「茶」に置き換えたものが、また「飯」に戻るのである。
「およそものを食べて味がわかるということも、絵を鑑賞してその美を礼賛することも根本は同じことである。」(同)
「生きる」ということに裏切られ続けてきた男、生きるというすべてを試してきた男が、たどり着いたことは、生きるという根源的な意味をとらえることだったのではないだろうか。とすれば、「食う」という行為の中にすべてを詰め込むことこそ最高の表現だった。そこには時代や、地域や、様式や、人種を越えたつながりがある。地球をおおうエネルギーがある。
「芸術そのものが実生活である。また、その実生活そのものが芸術である。作品はこれが表現されたものにすぎない。」(同)

 そのような魯山人の芸術の全容を理解して頂くべく「魯山人の宇宙」展においては魯山人と親しく交わり、アメリカに紹介したシドニー・カドーゾ氏の収集を中心とするサンディエゴ、カワシマコレクションを日本初公開するとともに、魯山人と直接関係があった国内のコレクションから二百数十点に及ぶ作品を紹介している。この中で、ぜひ注視していただきたいのは、ほとんど使用された形跡のないサンディエゴコレクションと実際に使用された日本のコレクションからの陶芸作品の対比である。幸運にも今回体験できる、その両者の違いと連続のなかに魯山人が作品の中に込めた意味が浮き彫りにされていると、私は思う。
 また、あえて、展示の中に、魯山人が愛し、また批評した作家たちの作品を加えることにした。それは魯山人の「好み」の対象をみてもらうことによって、彼の思考や視線を体感してもらいたいからである。
この機会に是非天才であるとともに、不器用な社会人だった、そして何よりも美しいことを愛した魯山人という人格を体験していただきたい、と思っている。

「人間の行為、人間の作品は、その人を反映せずには置かない。」(同)

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