The New Way of Tea, or a Wish for the Peace

ダダイズムの詩人トリスタン・ツァラは「詩とは生き方だ」と説いた。とすれば、「『茶の湯』とは生き様だ」と答えなければならないだろう。その意味は、他の芸術的表現形式とは異なって、茶の湯という表現は特別な職業の、特別な空間のために展開されるものではなく、ことさら日常の、とても平凡な環境の中に、特別なものを見出す精神的行為だからである。

昔、釈迦が、弟子たちと山に遊んだ。その道すがら、立ち止まった釈迦は何もなさげに蓮の花びらをもてあそんでいた。回りのものはその意味がわからずただ黙っていたが、一人禅の創始者といわれる迦葉だけが微笑んでいた。釈迦はそれを見て、真理と悟りを迦葉に伝えると、言ったという。

平凡な一日の、平凡な心の交わり、それは何ものにも勝るものではないのだろうか。一碗の茶のぬくもりが、手から全身にに染みていくように、澄んだ心で他者と通い合い、理解しようとする心。そのような純粋な意識の表現として「茶の湯」は生まれた。

時代は下って、200年程前の日本のこと、高名な禅僧で書と画の達人仙涯が、檀家の家に書を請われて、書いた。文は「親死ぬ。子死ぬ。孫死ぬ。」。不吉なことと怒った檀家に、仙涯は説いた。「老いた者から死ぬこと。そんな自然の摂理にかなった平凡な人生を送ることほど幸せなことなない。」平凡な人生を送ること、実はそれは平和の実現の上でしか成立しないのである。

中国、韓国、日本など、禅に深くかかわった文化を形成した国々において、それぞれに異なった形の「茶の湯」が形成されたのも、それぞれの地域の日常に即すという前提があるからである。その点から言えば、「茶の湯」が伝えるものは「時」という変化にも即さなければならないのである。「伝わる」事が大事なのである。

ここに集った素晴らしいアーティストたちが作り上げた新しい形は、その意味において、最も古い心の表現でもある。「茶の湯」の大成者千利休はこう言っている。「茶の湯とは一から始めて十を知り、またその一に戻ることなり」。

このすべての展示を、自然の摂理を全うすることができなかった、テロの犠牲者の方々にささげたいと思う。

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