20世紀後半における最大の文化的現象はポストモダニズムの成立だった、と思う。数世紀に渡って続いた近代主義における時代様式偏重の流れは、建築から始った突然の問題提起によって崩れ去ったのである。
今では、現代芸術と地域文化を結びつけることは至極あたりまえの手法となっているし、伝統的な美学の未来的な表現をデジタルツールによって実現しようとする動きも活発である。しかし、ルネッサンスという造形概念の変革の過程を経験した西洋に比べて、アジアにおけるポストモダンの解釈と表現は一貫しているとは言い難く、また、文化における地域差の大きさのためもあって、参照すべき過去の様式も統一された標準を持つことは不可能である。時代の表現はモダニズムさえも否定しないポスト・ポストモダニズムへと移ろうとしているが、アジア文化全体を通じてみることができる、時間や空間概念の自由な組み合わせへの志向はむしろそのような全者肯定的な視点に近いと見ることができるし、そのような接近が今後、地球全体の更なる相互理解と文化創造に貢献すると信じている。
そのような文化状況の推移において、日本のみならず海外においても、日本で完成された「禅」を背景とした「茶の湯」の表現の現代性が注目されていることはまことに喜ぶべきことである。
21世紀を迎えた現在において、「茶の湯」という表現を語る時、その伝統的儀式における様式美と「数寄屋」と呼ばれる茶室を始めとした、使用される装置、道具の芸術的完成度の高さはもちろんだが、加えて、その行為全体において提案される美学の現代的な価値にも言及しなければ、片手落ちの責めを負うだろう。アジアソサエティにおける実験的な表現は、ジャパンソサエティにおいて紹介される伝統的な表現の本質を知る上でも重要な意味を持っているのである。
もちろん、利休を始めとする、「茶の湯」の完成者たちが社会の今の姿を予知していたわけではない。むしろ、度重なる戦火の中で育まれたこの優美な儀式は、近い未来の到来すら確信の持てない状況の中で、その完成を迎えたのである。死を迎える前の「真実の瞬間」という言葉がスペインにあるが、生と死の狭間において、人間と社会の本質的な姿を見据える瞬間がおそらく彼らにも去来し、時間を超える様式の完成をもたらしたのかもしれない。
もともと、喫茶の風習は強く精神的なものと結びついていた。岡倉天心も「茶の本」の中で指摘しているように、仏教の一派である「禅」においてはすでに、 11世紀の中国においてすでに茶礼の儀式として成立していた。禅は広く知られているように、現実における生活の営みの中に仏の教えを実現しようとする実際的な宗教である。その根底にあるのは禅という言葉自体がそのインド語であるジャーナに由来するように瞑想という仏の道に至る六つの、修行の道(パラミーター)の一つである。彼らはその瞑想の中で自らを無とし、この宇宙の中に住むものすべてを受け入れるのである。彼らのアニミズム的な感覚においては、すべての行為や事物に真理が宿っており、それを知覚することが重要なのである。この他者との相対的な関係性における実存の確立という視点と、その実践としての「茶の湯」という基本的な構造は、その発生から千利休の完成に至るまで一貫していると言っていいだろう。
「茶の湯」における美学的な興味の一つに、「見立て」や「「数寄」という行為や感覚に代表される、様式的な柔軟性があげられると思うが、中心にある真理を無とすることによって結ばれるすべての事物の対等な関係性を尊ぶ禅の教えに基づいている。そしてそれは、時間や空間においても普遍的な考え方ゆえに、時代と呼吸し、時代性を受け入れ、新たな表現が成立することを可能にするのである。それはそこに参加する人間においても同様で、世俗における立場の違いを無視し、「茶の湯」における平等な関係を保とうと務める背景には、禅の実践という目的が存在しているのである。
1995年に私がヴェネチア・ビエンナーレ日本館において企画した「数寄」展は、今回の企画にも参加している、千住博や崔在銀らと共に、このような関係性の概念を現代美術という多様な様式が存在するフィールドに展開し、その現代における実践の可能性を探ったものだったが、その時、会場において「数寄」を「連帯(togetherness)」と訳したのは、あくまでその思想が造形的な目的だけではなく、この世の理想的なあり方を追求するものであるからである。異なるものが結び合う究極の平和の姿、「茶の湯」はそのささやかではあるが、具体的な実践なのである。
すべてのものが結び合う全体の姿を追求するとしても、「茶の湯」は個人の存在を否定するものでは決してない。禅とその茶を日本に伝えた栄西は、道教の影響が強い南宋禅を学んだが、そこにおいては全体のなかに個を埋没させるのではなく、別の個と結び合うことによって、存在を実証する、という相対的な実存主義が存在している。「茶の湯」はそのことを経験的に学ぶ場なのである。アインシュタインの相対性原理は科学的視点における、物質の相対的あり方を提案し、20世紀の社会に大きな影響を与えたが、そのような時代に精神的な相対性を原理とする禅が再評価されていることは、きわめて当然のことなのかもしれない。
こんな話が伝わっている。
あるとき釈迦が弟子たちと山に登った時、何もなさげに蓮の花びらをもてあそんでいた。回りのものはその意味がわからずただ黙っていたが、ただ禅の創始者といわれる迦葉だけが微笑んでいた。釈迦はそれを見て、真理と悟りを迦葉に伝えると、言ったという。
この話は、「以心伝心」、今で言うインタラクティヴコミュニケーションの大切さを教えるものだが、人と人の直接かかわりあう経験を通した相互理解のなかに真理が存在する、という考え方は、「茶の湯」の本質に通じるものであろう。
禅の茶礼に習って発展した日本の茶の湯は、村田珠光、武野紹鴎という「わび茶」の流れを経て、千利休によって独自の完成を見るが、おそらく、彼らに大きな影響を与えた大徳寺の一休禅師を媒体として、当時最先端の芸術論だった世阿弥の「能」の美学が引用され、禅的な経験がよりドラマティックに表現されるようになる。
世阿弥は、周知のように、能の完成者でもあり、能を通じて日本の芸術論を集大成した人物である。世阿弥は茶人たちと同じように仏教的な宇宙観に傾倒しつつ、アジア土着の死生観も取り入れながら、相互関係性の美学をより広範に死後の世界つまり「霊」の世界にも展開した。「秘するが花」、「時分の花」など、花になぞらえた、役者としての経験に即した彼の理論はあまりにも有名だが、その形而上学的世界観は、20世紀のジョルジョ・デ・キリコにも通じる直感的なイメージの連鎖に満ちている。また、このような形而上学的表現はメディア芸術の発達に伴って、現在ますます盛んになっているものでもある。
「茶の湯」と「能」は、ドラマへと至る経路の明確化、事件の一時性、空間における無への帰却など、さまざまな共通点を持っている。しかし、「能」があくまで鑑賞を目的とする表現であるのに対して、「茶の湯」は体験に参加する役割を参加するすべての人々に与える、世界的に見てもユニークな特徴を持つ表現芸術である、という点では異なっている。インスタレーションや、インタラクティヴ・ツールを用いて、観客とのダイレクトなコミュニケーションを計ろうとする現代のアーチストが「茶の湯」に対して深い興味を示すのもこの特徴によるところが大きい。また、よく言われるように、朝鮮の飯碗を茶碗に使用したり、庭や花を特別なものに見せなかったり、というように、その体験の環境や、装置をことさら日常的なものにこだわることも、社会に対する普遍的なメッセージの発信を目指す、デザインを含めた現代の造形作家たちにとって特に魅力的に映る要因である、と思う。
今まで述べてきた理由において、「茶の湯」にこめられた、体験的な美学論は、20世紀以降の芸術の目的と重なる部分が多いばかりか、これからのデジタル環境や、ネットワーク基盤を背景にした新しいクリエーションにとっても強い示唆に富んでいる、といえるだろう。
今回の企画に参加し、「茶」と「禅」の現代的解釈を表現した日本とアジアのアーチストたちの作品は、伝統的な「茶の湯」における造形表現のエッセンスを抽出するのみならず、その未来をも示唆するものであると信じている。