汐留跡地・日本美術館構想

 第1次構想を始めて発表したのは、1987年秋、「ブルータス」誌にて、その後1992年~1993年にかけて、第2次構想を「SCAPE21」誌上で発表しました。

第1次構想 (1987年)

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PLAN-1 概要

基本デザイン:

崔在銀
設計
シュミレーション:
エドワード鈴木
建築名称:  

日本美術館
The Japan Museum    
建築主: 財団法人日本美術館
所 在: 東京都港区東新橋1丁目
構 造: 鉄筋コンクリート造
階 数: 地下1階
敷地面積: 約216,000㎡
建築面積: 約100,000㎡
延床面積: 同上

第2次構想 (1992年)

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PLAN-2 概要

デザイン・設計: 隈研吾

 本プランは、美術館における人間とアートのインターフェースに関して、新機軸を提案するものである。具体的には、来館者はアートビークルと呼ばれる一種のモビールに乗って館内を自由に行き来し、作品をスキャニングしていく。つまり美術館という"場"の原点、そこでわれわれが美術館作品との間に取り結ぶ「見る」行為の原点に立ち返り、それに新たな解釈を施し現代的に翻訳することがメインテーマであるのだ。その意味で、本プランは1970年代にピアノ=ロジャースが成し遂げた美術館建築の革命ともいえるポンピドー文化センターをより3次元的に立体化し、発展させたものといえるかもしれない。ここでは、どこまでが機能でどこまでがデザインであるかといった表層的な差異はあまり重要ではない。むしろ外観および施設デザイン、機能、システムのすべてが一体となって、現代における人間とアートのインターフェースを表現し、さらに都市や社会との関係の中でのアートの価値=「交通」を体現しているのである。

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PLAN-3 概要

デザイン・設計: 竹山聖

 基本的には、「収蔵庫」と「ギャラリー」を分けて考えること。それは、一見近代の産物と思われる美術館という建築形態を原点にまで遡り、現代に翻訳し直す作業でもある。収蔵庫は従来、美術館の中であまりに虐げられてきた。しかし、これから21世紀へ向けた美術館のあり方、さらにここに建設される美術館がそれ単体で完結するのではなく、東京中、日本中の美術館やギャラリーにとってのセンターとして機能すべきものであることを考えれば、その収蔵庫としての役割はますます重要になってくる。もちろん、収蔵庫は同時に、日本最大の研究センターでもあるべきだ。そこで本プランでは、収蔵庫をチャーミングな建築の形としてアピールすることにまずポイントを置いてみた。一枚の壁に横断された巨大な半球状の収蔵庫は、一種古墳のイメージを持ち、高さではなく広さとマッスによって周囲の環境に訴えかけるランドマークともなる。また、ギャラリーは土地の記憶と現実的なアクセス機能を重視して、メインのステーション・ギャラリーを中心に各所へ配される。

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