今、なぜ「お茶」を問題にしなければならないのか?
茶美会「然」を生みだした者たちは、こんな素朴な疑問に答える義務があるように思う。
それは「お茶」に関わる儀式の美学を現代に再生するためなのか。それとも、「数寄屋」という特殊な空間の意味を問直すためなのか。そして、新たな工芸の伝統を築くためなのか。答えはそのどれもであると同時に、そのような問題提起では到底到達できないところに真の答えは眠っているようにも思う。なぜなら、私たちがこのような試みを行なっているのは尽きるところ「お茶」の歴史のためだけではなく、むしろ、危機に瀕している「美学」や「思想」という,曖昧でありながら、重要な概念を「行為」や「形」という具体性を持つものに還元し、救済することにあるからである。
それはとりもなおさず、千利休という一人の思想家が四百年も前に取り組んだ問題であり、恐らく、彼の視点は現在のような東洋と西洋の概念上の地域分別の崩壊が現実的になる時代まで理解を待たれていたものだろう。
茶美会は一つの地域の情報が即座に全世界的な問題となる時代にボーダーレスな思想の先駆者たる「利休」の説いた意味を再生させようとする行為なのてある。
ジャック・デリダは「脱構築(デコンストラクション」という表現で伝統的な思考の中に内在しながらその価値を問い直し、再生することを提案したが、利休の言う「守破離」はそこに通じる内容を示唆しながらも、「行為」と「形」を伴うだけ余計に過激で、しかも日常的たりえているとはいえないだろうか。
さらに言えば、「タオ自然学」を著した物理学者フリッチョフ・カプラが素粒子の相互作用に東洋神秘思想的な全現象の合一性を見たというならば、雑多な文化から生まれでた破片を「禅」という宇宙概念にそってそれぞれのバナキュラーを飛び越え、新たに「配置(アジャンスマン)」することに執着した利休はその先駆と見なさなければならない。 実際、近代的イデオロギー崩壊後の思想を組み立てようとする者のなかに利休的な部分を認めることはその時代の隔たりを思うとき驚くべきことである。
敢えて言うならば、現代に伝わる「茶道」とその特異な美学は利休によって完成されたものではなく、「脱構築者」利休自身によって始められたものである。それは茶という伝統のなかに入り込み、その本質さえをも転換させてしまった一人の思想家の具体的な実験の成果なのである。そしてまた安土桃山という西洋と東洋の葛藤の時代に生まれ、その境界の狭間の中に、感性についての統一的な視点を確立しようという目的をもって生まれたからこそ、現代というボーダーレスな時代において、地域的な差異を超克する思想として再生されるべきものに違いない。そのためにはもう一度それ自体の内部において脱構築を果たすことが急務なのではないだろうか。
近代において思想から欠落してしまった「日常」を利休から四百年を経た今も内包しつつ、その「茶」はひたすら人類の合一的な宇宙を目指し続けているのだから。
開催主旨
「茶美会」は、ただ単に茶道の造形的な外観やしつらえを変貎させることが目的ではなく、日本の伝統と現代文化という一見相反してみえる文化の相剋を、伝統の側からモダニズムに一石を投じ、現代文化の側からも伝統へ問題提起をおこなうという現代文化の実験現場です。
会 期
1992年4月29日(水)4月30日(木)
会 場
原宿クエストホール
企画・立案
田中一光(グラフィックデザイナー)
企画・構成
伊東順二(美術評論家)
空間総合デザイン
黒川雅之(建築家)
茶室 制 作
内田繁(インテリアデザイナー)
喜多俊之(デザイナー)
崔在銀(アーティスト)
杉本貴志(インテリアデザイナー)
根岸照彦(建築家/裏千家今日庵)
衣装監修
三宅一生(ファションデザイナー)
衣服デザイン
津村耕佑(ファションデザイナー)
照 明
藤本晴美(照明デザイナー)
音 楽
三枝成彰(作曲家)
制作 進行
(株)ジェクスト
(株)ミリエーム
亭 主
伊住政和(茶美会文化研究所 主宰)
茶美会・然 クリエイティブ・メンバー
浅葉克己 粟辻博 五十嵐威暢 石井和紘 伊住政和
伊東順二 石岡瑛子 伊藤隆道 稲越功一 内田繁
上田浩史 エットーレソットサス 大樋長左衛門
大樋年雄 エドワード鈴木 川上元美 川崎和男
加山又造 喜多俊之 北川原温 木田安彦 清水九兵衛麹谷宏 黒川雅之 小池一子 三枝成彰 崔在銀
佐藤晃一コシノジュンコ サイトウマコト 杉本貴志
多田美波 田中一光 タナカノリユキ 勅使河原宏
田原桂一 津村耕佑 戸田正寿 堂本尚郎 中村宗哲
中村公子 中村公美 長友啓典 根岸照彦 林ミノル
藤本晴美 日比野克彦 松永真 三橋いく代 三宅一生
葉祥栄 皆川魔鬼子 横尾忠則 樂吉左衛門
脇田愛二郎